Parfait Amour
そうかわかった、といった跡部は立ち上がると裸足をぺたぺたとならしながら廊下の向こうへと行ってしまった。浴室の扉を開けたてする音がしたあと水音がきこえてくる。
床の上にぽつねんと取り残された忍足は、こぼれた唾がつめたい口元を舐めながら首をかしげた。わかったって、一体なにがわかったというのだろう。
(ていうか、置いてかれても困るんやけど)
キスでもりあがった溢れんばかりの若さと情熱をどうしろというのか。あらぬところが切ない。いまさら風呂って、さっき鼻先を埋めた首筋からはちゃんと風呂にはいったらしいにおいしかしなかった。
もしや放置おあずけ、そういうプレイか。それともいまさらリサイタルをやれということか。
(なんやのこれ)
つっぱらないよう前かがみになって、膝を抱えると水音が聞こえてきてなにか色々想像してしまって末期だ。こぼしたため息は熱っぽくやっぱりすこし切なかった。いっそ不貞寝をしてしまいたい。
なんでこんなことになったのだろうと膝に額を擦らせながら忍足は首を傾げた。
いい雰囲気だったのだ。
会話が途切れて、目があってなんとなく手を握って、どちらともなくキスして抱き合って、またキスしてその内足りなくなって床にもつれこんでカットソーの中に手を突っ込んだりして、いつものようにできるのかなと思っていたのだ。
床の上でやるんかなあと思いながら上から落ちてくる唇を受け止めて、髪をかき回されるのに笑ったり、眼鏡に指紋がつくのもおかまいなしに引っこ抜かれたりするのに文句をいったりしつつ、ゆっくり手をのばしていた。
腰の窪みをなでていた手をもちあげて、肌触りのいいカットソーをもちあげる。渇きが喉をついて、目の前の喉仏にうすく歯を立てると悩ましい声が落ちてきて、昂奮しないほうがおかしい。
体重をかけないようにだろう、床につっぱって支えてるのもなにか厭で脇の下に腕をとおして引寄せて、抱きしめた。
(ちょっと勃っとる)
ぐっと腰から下が押し付けあったことでお互いがすこし熱をもってるのが知れる。ぐりぐり擦りつけながら捲くれあがったカットソーを今度こそ脱いでもらおうと手をうごかしていると、ふと体の上から重みが消えて、視界が明るくなった。
「なに?」
「……」
答えず、わずかに目をすがめた跡部が顔の脇に両肘をついて見下ろしてくる。手のひらの下で肌がわずかに汗を浮かせていて、指を動かすと小さく息を詰める。わけがわからないままで、けれど触っていたくて手のひらをさまよわせた。ベルトの前を弛めて、ゆっくり手のひらをねじこむ。ファスナーの歯がすこし手首にひっかかることぐらい気にするほどのことではない。
女の子特有の冷たさのない熱くはりつめた体でも見てとって歯をたてられそうなところは、力がはいってなければそれなりに柔らかいと知った。たとえば二の腕、たとえば首、たとえば太股、たとえば尻。男でもそうなんやなあと思いながら、ふとしっかり触りたくなって湿った熱のこもった布越し、なでて掴んで指をすべらせる。もう邪魔だから脱がしてしまおう、と手をかけたところで、おもむろに跡部が口を開いた。
「してえのか」
「……? うん、まあ」
「そうか」
わかった、と頷いた跡部は立ち上がってしまったのだった。
じっくり見つめなおしてみても、さっぱりなにがわかったのか意味がわからない。
(……けっこう、やらかかった)
思い出してみればますます熱がこもってきて、膝を抱えたまま忍足は足の指をもぞつかせた。手のひらからほんのすこし跡部のにおいがする、と気がついてしまうともう本格的に駄目だ。切ない。このままだとほんとにリサイタルをしてしまう。
「……」
よし、と覚悟をきめて、どことなしに前かがみのまま浴室に進もうとしたところで、手の甲に水滴が落ちた。
「?」
跡部が目の前に立っている。しかもタオルこそ腰に巻いてるが裸だ。みたところ下着ははいてなさそうだった。シャワーを浴びたわけでもなさそうだ。髪の毛はぬれてない。
じゃあなにをしていたんだろう、とわけがわからなくなってくる。ぐい、と顎をしゃくられて今度こそ首をかしげると、盛大に舌打ちをされた。
「……察しの悪い野郎だな。来い」
ひどい。
ベッドに座らされ、膝の上に跨られるに至ってようやくわかった。
(あー)
首筋がちょっと熱い。指先が脈打ってるのがわかるぐらいに、心臓が驚いている。眼鏡をかけていたら多分、すこし曇ったかもしれない。恥ずかしすぎる。察しが悪いと罵られてもしょうがなかった。忍足は恥じ入って猛省する。跡部が男でよかった。女だったら多分、もっと怒られていた。
「あー……、うー……」
「唸るな」
「ちょ、揺らさんで。なんか見えるから」
タオルがめくれて、ほんとに見えてしまう。日に焼けてない内腿の白さが対比で、ものすごいいやらしく見える。しかも水気が多くて、内側から透けるみたいなやたら甘そうな色に見えるのは目の錯覚ではなかった。
つまりは、なにのとは言わないが準備をしてくれたということで。
(……勘弁)
初めて見るわけでもないし、触ったこともあるしちゃんとやらしいこともしたけれど、恥ずかしい。だって未知の領域なのだ。なんでこんな恥ずかしいことになってるかわからない。泣かない自分をちょっと褒めたい。
ふん、と鼻を鳴らされ、耳の横の髪を弄ばれたかと思ったら、齧りつかれて首筋に電気みたいに痺れが走った。ぐっとやわらかに押しつけられながら、見たくねえのか、と歯茎が痛みそうほど甘い声で囁かれれば、落ちるしかない。
正直に触りだした手に、ふと笑う気配がして顔をあげる。鼻をすりつけると、釘を刺すように言われた。
「……あんま期待すんなよ」
「なにを?」
「そんないいもんでもねえってことだ」
じとりと見つめると、ほんのすこし視線を泳がせた跡部は、まあ若気の至りって奴だとこぼした。若気の至りってなんだ、と考え込んでから、はたと気がつく。
(誰と?)
べち、と頬をたたかれて忍足は目を瞬く。
「お前な、気にすることか」
童貞でもねえくせして、と淡々と言われてまあ確かにお互い様だと忍足は頷く。それでもちょっと笑う。
「気にせんていうたら嘘やろ」
「気にしたってどうしようもねえだろ。そこは気にしねえって言えよ、」
嘘でも、と頬を撫でた手が髪の毛を甘ったるい仕草で撫でてはなれるのに、息苦しさにもにた熱が喉元で詰まって、きっと犬だったら鼻を鳴らすか尻尾をふっていたに違いなかった。性質が悪い。
「嘘でも?」
「オレが初恋とかさむいこと言うなよ」
絶句した忍足に、跡部も言葉をなくした。耳がじわりと熱を持ったのがわかる。声は低く掠れた。情けない顔をしている自覚はある。
「……それは流石に違うと思う、かな」
「わりぃ」
「声、笑っとるで」
「や」
悪い、とひらりと手をふった跡部はくつくつと春告鳥みたいに喉を鳴らして笑い、拗ねんなよと虫がよろめきそうなくらい甘い声を落とした。自分だって喜んでるくせに、と思いながら忍足は黙っている。機嫌がいいときはいいようにさせておくのに限るのだ。跡部が自分に甘い自覚はあるけれど、自分だってたいがい甘い。もうほだされて丸めこまれている。
いつか見てろと思う。姉が男のいつかは永遠に来ない、といっていたのは頭の後ろに丸投げだ。
しっかり厚みがあって筋肉のある靭やかな背中をなでて肩口に額を押しつけると、甘やかしに項の後ろに指が入れられ、撫でられた。もっと触ってほしい。すりつけて目をあげるとシベリアンハスキーみたいな青灰の目が笑っていて、眉をしかめた忍足は唇をちいさく押しつけた。
瞼をもちあげると満足げにしているのがすこし癪で、でも自分がまたたびをかがされた猫みたいに酔っ払って大喜びしている自覚もあって、笑っていいのか拗ねていいのかよくわからない。すこし厚い下唇を唇ではさんで、すこし引っぱって、また重ねた。
興味がない、といったら真っ赤な嘘なので知識はおぼろげながらある。枕元のパッケージをいくつか引っぱり出して、指に被せる。
「ちょっと、膝立てて」
「ん」
肩に手を置いて浮かせてくれたのにありがたく手をさしこむ。ゴムを被せた指でさぐるとすこし震えるのがわかって、頭に血が上った。
跡部と改めて付き合うことになったとき、決して考えなかったわけではないので自分で触ってみたことがある。果たしてできるものなんだろうかと思って、風呂場で指をあてたとき、性欲ってすごいという場違いな感想しか出てこなかった。正直、ドリルのようにねじ込むぐらいの心意気でないと突破するのは不可能なのだから、人類ではじめてやった人は英雄か偉人だとしか思えない。
関係ないような関係あるようなことをつらつら考えながら、指で撫でるようにして、ゆっくり押し込むと、ゴムの潤滑に助けられてか存外抵抗はなかった。
「……わ」
「っ」
ぬるんと、あっけないほどもぐりこんで、熱くきつく狭められて背中の後ろが羽でなでられたように落ち着かない。すこし柔らかくなっている。入った、ともらした声がばかげているくらい掠れていて、アホか、と罵られる。
「やわこい」
「……じゃねえと困るだろ。しゃべんな」
ねつっぽい手で口を乱暴に抑えられひそめた声で怒られる。目尻を赤くしたまま困った顔がちょっと嬉しくて、手のひらを舐めると頭突きをされた。
それからどれぐらい時間をかけたのか、手首がちょっと疲れるくらいは丁寧にしたと思う。
どこか申し訳ないような気持ちになりながら、後ろからせまいところに沈めた。鼻先から汗が白い背中にぽつぽつと落ちて、大きな雫になりくぼみを伝っていくのが目に映って喉が渇く。眠る蝶々みたいにせりあがって影を作り、またひろがる貝殻骨に唇を落として、きつく目を閉じた。
動くなと言われてなかったら、きっともっと乱暴に揺さぶっていた。今だっていつ箍がはずれるかわからない。ぎりぎりだ。歯を食いしばって膝の後ろまで震えそうな熱に耐える。蛍光の緑や赤が瞼の裏でめまぐるしく飛び散って、耐えられず開けても残光が躍っている。
顎を引いて唸る。
「……きっつ」
「てめ、ぇが、言うな」
「はは」
うん、ごめん、と謝って日に焼けた首筋に鼻先を擦りつけた。きつくて、熱い。もういい訳が誰にもできない、と思ってしまう。正真正銘、本物だ。腕の裏側を汗が伝い落ちていく。後ろから重ねた手、指先に感じる皮膚はテニスのしすぎて硬くなり、胼胝のところはかえってなめらかにも思える。
けれどすこし冷えてるのに、「あんまり期待すんな」の意味がわかって謝りそうになる。どうにか堪えて、言葉を捜すけれどどうしていいかわからない。ありがとうというのもおかしい気がして、黙って犬みたいに体をこすりつけるしかできなかった。甘やかされている。
ちょっと嬉しくて、元気になってしまった。我慢がきかない。終わったら口でしてやろう、と決心してから、動いても?とお伺いをした。
(まあ、時間はあるわけだし)
忍足侑士は、かくして決意する。
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