!>阿部がふつうにバイです。



















おまえ、ホモなの、とどこか呆然として榛名元希が尋ねるのに、無造作に唇をぬぐった阿部隆也は瞬きを一つした。

「こういうことしといて、普通ききます?」

ぬれた唇がやたらとゆっくり動いて、両端がもちあがるのに笑っているのだと知った。





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Place
Occasion

1.カミングアウトの誤算





姉の大学はいって二人目の彼氏だったマスオユージはホモだ。

「ユージくんは、もともとそっちなんだよ。見てすぐわかった」

わかるもんなのかそれ、と思いながら適当にへえ、というと携帯をいじりながらそうよ、と姉はいった。中学時代は普通にメガネのすこし太目のブスだったのに高校二年ぐらいから痩せていきなり美人になってもてだした。だからなのか姉貴はけっこう変な女だ。その内の一つがホモがわかるという。

「あのさ、痩せるとあからさまに男の眼がかわったのわかるんだよね。なんかそれまでブスっていう名前の人間外って扱いでさ。なんか男の子に人間って認識されるようになったっていうか。その反動なのかな。こいつ、女の子に興味ないんだな、っていうのがなんとなくわかるんだよね。だからユージくんもよくわかった」

彼氏がホモってそれおかしくないか、と思って突っ込むと、でもあっちから付き合ってって来たんだよ、とけろりといった。

なんだか深すぎて意味がわからない。

もちろんマスオユージもたいがい変な奴だった。はじめて姉が家につれてきたときはそつなく「親父からです」なんかいって土産を渡す、初対面の親父とも特にこだわりなく話していた。(ホモとはもちろんしらせてない状態だった) ひょろっと細身の体によく似合う、近くでみると高そうなジャケットとデニムを着て革靴もまともに手入れがしてあってぴかぴか。笑うと目尻がくしゃつく犬みたいな人だった。

二年くらい付き合って別れたらしかった。今でも友達づきあいはしてるらしく、電話も来るし遊びにいったりもしてるらしい。ほんとに意味がわからない。

なので会わないわけではなかった。

着信を知らせる震えと家族をしめす赤い点滅に、ベッドの上にころがっていた榛名は腕をのばした。ハンドグリッパーを放りなげてフリップをひらけば姉の名前が出ている。

「……なに」

駅前からなんかへんなのがついてくるんだけど、という姉に起き上がるととりあえずデニムに足をとおして、どこ、と訊く。

「遅くなるなら男に送ってもらえよ」
『都合つかなかったんだよ。ほんとゴメン』

ありがとう、と言われてしまえばでていかないわけにも行かない。階段をおりて靴をはいていると母親がどうしたの、と首をだす。姉貴むかえにいってくる、といって玄関をでた。

駅前から二つ目にあるコンビニに姉はいた。

「ほっんとありがと。なんかおやつ買っていいよ」
「おー」

わさわさと棚からカゴに適当にほうりこんで、姉からわたされた財布で支払いを済ませる。雑誌を立ち読みしているのに、ちょっと時間がかかるかと思い外に出た。いっしょにいるのはやはりなにか気恥ずかしい。

ドアをおしあけて庇の外へでれば雨上がりの夜空が見えた。高いところをちぎれるように灰色の雲が流れていく。見える星ぼしは月のそばでこそあまりはっきりとはしなかったけれど、明日の晴れを約束するような綺麗さだった。

買ったばかりの一リットル入り麦茶を飲もうとしたところで、灰皿の前でタバコをすっている人影にきがつく。気がついたのはあっちで、人懐こそうな笑みをうかべるとゆらゆらと歩いてきた。

「久しぶり」

普通にショップかなにかでバイトしてそうなぐらいなのに、ストラップやら小物になんでかやたらとキャラクターもののマークが目に付く。どっかのセレクトショップが提携したときは、姉貴にかってやる服にまで白雪姫だとか人魚姫だとか出てくる始末だった。もちろん年間パスポートは持ってるらしい。

「なにしてんすか」
「この近所にダチがいるからさ。なんか、すっげ背ェ伸びてない?つか、でっかいねー」
「まあ、体資本なんで」
「そうだよね。君んち、でかくなりそうでいいよね。お姉さんは?」
「中で雑誌よんでます……ってあれ、いねえや。便所かな」
「あ、そうなんだ」

君のお姉さんてすごいよねえ、とマスオはいった。妙に人懐こい空気にほだされて、しかたなくコンビニ前におちついてしまった榛名は麦茶をあけるとストローを差し込んで口をつける。

「そうすかね」
「うん。あんだけ人間できてる人そうそういないよ。家の雰囲気なのかな、まともだよね」
「わかんねーっす」
「しゃべるわけじゃなくってさ、すごい人安心させてくれるんだよ。付き合ってたときさ、ずーっとランド行こうよ、ランド行こうよって一年の間で何回もいうから、そんなに好きだったっけ?って聞いたことあったんだよね。そしたらさ、俺が好きだろって」

わかりにくそうな顔を榛名がしたのだろう。マスオはもう一度繰りかえした。携帯電話には有名なキャラクターが鈴なりにぶら下がっている。

「オレが好きだから、ってさ。すごくない?いわれるまでずーっと気づいてなくってさ、いや自然すぎて気づかせないっていうか、気ぃ使わせないっていうか、そういうの、すごいんだよ。だからさ、気をつけてあげな」
「は?」
「なんか、そういう人って相性なのかな。メンヘラってかちょっと執着つよい変なのに依存されたりとかすっから。俺一時期やばかったもん。おねーさんと別れて。ストーカーなりかけた」

一瞬呆然として、今日のはてめえかよ、と睨んだ榛名に今は平気、とマスオは手を振る。

「別れたばっかのときはいてくんないとめっちゃしんどくなるときとかあったもん。でもなんか、今思うとよっかかりすぎてて気持ち悪かったな」
「……今は」
「今は本気で友達付き合い。つか付き合う前も仲いい友達だったし。あれ、俺んことお姉さんから聞いてねえ?」
「あー……」
「あ、云ってんだ。うん。だから安心して」

安心して、と言われたところで、細いマスオの体になにかやたらと熱をもつ生々しいものになった気がした。マスオの吸う、メンソール系のタバコの匂いに咳きこんだ榛名は麦茶を吸いあげて飲む。

「なんてか、君のおねーさんが例外だったんだよね。俺でも付き合えるかなあみたいな感じで。やっぱさ、圧倒的にマイノリティだからさ、折り合いつけないとって強迫観念みたいなのがあってさ。親にもさ、まだ云えてないし。長男でもないから孫の顔ぜったい見せてやんないといけないってわけじゃないけどね」
「今は」
「いるよ、ちゃんと」
「その、女の人」

咳き込んだのに気がついたのか、わざわざ横をむいて煙をはきだしたマスオはくしゃりと困ったように笑った。

「さっき、君のおねーさんが例外って言ったじゃん。多分、俺、ほんとに無理なんだと思うわ。性っていうんだろうけどさ、自分でもどうにもなんないんだよ」

顔をあげると、マスオは僅かに俯いた。不意にとおりすぎたトラックのライトがあたりを凪いでより暗い闇が束の間落ちる。唇をもちあげるだけで笑ったらしい。

「……厭でもさ、スイッチが入るみたいになっちゃうんだよ」

ユージくん、という姉の声にきがついて、二人はコンビニの戸口を振り返る。光を斜めにあびた姉から、もどしたときにはいびつな笑顔はどこにもなかった。

あの子いま不倫してるからさ、と姉に言われて呆気にとられたのは遠い話だ。







地元に二軍の練習場を自主錬で使わせてもらうことになった。地元にもどるのも久々と言うことで許可をもらって、ついでに榛名実家に帰っていた。ちょうどよく、実家に帰っていたらしい阿部とかちあったので、いっしょにメシでもという話になったのは当然の流れだ。

おたがい地元になじみがないせいで、へんなチェーンの居酒屋にはいってしまったのがいけなかった。酒も肴もまずいからちがうとこで呑む、ということで結局榛名の叔父がもっている部屋のあたりで飲みなおし、そのままそこの部屋におちつくことになった。飲酒運転は助手席に座るのも厳禁なうえ、タクシー代をだすだけの手持ちがうっかり阿部にも榛名にもなかったせいだった。(あるにはあったが、お互い、コンビニで手数料をとられるのは癪だったのだ)

公団の階段を上って、ふるびたドアをおしあけて電気をつけるとのぞきこんだ阿部が声をあげた。

「へえ、けっこうかたづいてますね」
「人住んでねえもん。帰れないときにたまに使わせてもらってんだよ」
「ふーん」
「布団、しけってても文句いうなよ」
「気にするほど繊細じゃないです。これ、誰か住んでたんですか」

築十年は軽くいっている、家族用の部屋のようだ。使われていない部屋独特の、埃のおちついてしまった古いにおいがしていた。

「三年ぐらいまえにしんだ祖父さんの家。叔父さんがけっこう出張ででる人だからこっちの別宅みてえなもん」
「金持ち」
「おー。多分、俺んちじゃ一番堅実にもうけてんじゃね?持ち家もローン終わってるし。ここもガス水道ずっと払ってんだからすげーよな」

深夜まで営業していたスーパーで買い込んだものを冷蔵庫にいれて、コンセントをあらためて差し込む。唸るように震える音がした。

なげた座布団もだしてやった毛布もすこし黴くさい。フローリングに足あとが浮かぶほどひえているのに、ガスストーブをとりだして火をいれるとようやく人心地ついた。

祖父の残した本やいろいろをみてとりとめもないことを話しているうちに、ふと落ちた沈黙はなんだったろう。ぶあついブラウン管テレビの奥で誰かがどっと笑った。エンジン音が不意に唸って遠ざかっていく。

画面の切り替えでテレビの画面が暗くなり、阿部の頬に影が落ちた。ふ、と流れた視線が結び合ったのはほんの一瞬。それだけで十分だった。

「……」

床からグラスを取上げる音が耳を叩く。なんでもないように口をつける阿部をみておまえ、ホモなの、とどこか呆然として榛名が尋ねる。無造作に唇をぬぐった阿部は瞬きを一つした。

「こういうことしといて、普通ききます?」

ぬれた唇がやたらとゆっくり動いて、両端がもちあがるのに笑っているのだと知った。

(って、つまりはそういうことだよな)

久々にあったシニアの後輩に妙なカミングアウトをされてしまった。
なんで、というとちょっと驚いたらしい阿部は首をかしげた。

「や、大学のダチがどーしてもっつうから」

さらりといった阿部に驚愕が隠せない。手首をぶらりとふってグラスの中身をまぜた阿部は傾けて一口飲んだ。唇を指でぬぐい思い出すように斜め上をみて考え込む。

「押し負けたっつーんすかね。そんでまあ、別に気持ち悪くなったりって体質でもなかったみたいなんで、いいかなと」

まあ、バイってことすかね、と言って阿部は困ったように笑い横目に榛名を見た。

「自分でふっといて引かないで下さいよ」

引いてねえよ、と返そうとするがなにを言おうにも頭が上手く回らず言葉がうまくでてこない。

「……おまえ、それはねーんじゃねえの」

声にだして言えたのはしょんべん、といって立ったトイレの中でだった。

オレの周りホモ率高くねえかオイ、と口にしてみたところでなにも現実は変わらない。

(つか、なんかすんげーむかつくんだけど、なんだこれ)


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