two stories town



Act.0
East Town 9thStreet
5:30 p.m







カチリ、と撃鉄を起こす音が響いた。

ゆっくりと両手を肩の上、頭の後ろで組んで少年は恭順を示す。廃ビルの隙間、鉄骨のはみ出た壁に挟まれたせまい裏路地に差し込む街灯の光が長い影を二つ、描いている。表通りを行き交う人びとの喧騒は遠く、狭隘なアスファルトの路地には闇が淀んでいる。

「声かけてやったときにすぐ財布出してりゃ、純度の高いヤツ売ってやったのによ。ほら、壁側向いて両手つけろ。動くなよな」

セオリーどおりの脅し文句に従う相手に、わざとらしく舌打ちして見せた。一発で天国を拝める『極上品』を売りつけてやろうと思ったのだが、買う気がないらしい。その見下しきったような目付きがムカついて、商売から脅迫に稼ぎ方を変えてやった。

右手に銃をかまえたまま左手で相手の懐を探ると、よく使い込んだらしい皮革の財布が出てきた。けっこう厚みがある。現金がないにしろ、カードを『地下』のマーケットに流してしまえばけっこうな金になる。一部を地区の顔役に納めて後は自分の自由に出来る。

あとはこの獲物の頭を銃のグリップで殴って昏倒させれば、今日の稼ぎは終わり。酒でも買おうと楽しい想像に笑っていると、今まで無言のままの獲物が口を開いた。

「二人目」
「ん?」
「今日オレにその科白を言った奴と、財布を探った奴」

頭が笑い含みの言葉の意味を理解する前に、ぐっと銃を握った右手首を掴まれて引っ張られた。なんだ、と思う暇もなく腹部にめり込むのが肘。衝撃に目が眩んだ頭に場違いに落ち着き払った声が響く。

「コンバットマグナムを片手で扱うバカなんていねえよ。それに安全装置もはずしてないし」

咄嗟に引き金を引いたが綿を握るような鈍い手ごたえが返るだけ、回転式シリンダーを握りこまれて、シリンダーに入った弾丸が発射できない。

「セーフティがかかったままの銃ってここ押えると発射できない。知ってた?」

呆然とした瞬間、右腕を捻り上げられてグリップから手が離れた。背中に硬いものがぶつかり、気がつけば冷たいアスファルトに仰向けに這いつくばって、右肩を少年のスニーカーに押さえ込まれている。バラバラと懐から商売道具である『天国へイける薬』の包みが三つほど落ちる音が、軽く響いた。 

ひ、と息を呑んだところで目の前に突きつけられるのが、黒々とした銃口。

「反動で腕の関節がイカレる」
 撃つ時はこう、と両手で構えて見本を披露してくれたが、じっくり見る余裕があるはずもない。 「遠山って男、知ってるか」
「……」

知らない、と必死で首を振ると、そうか、とつまらなさそうなため息が落ちて、後頭部に当たる鉄の冷たさに血の気が一気に引いた。

「バイバイ」

楽しげな声を遠くに聞きながら、暗転する視界の中で最後に映ったのが、夜目に紅玉のような光を放つ双眸と、楽しげな笑み。

「何が二人目なんですか」

背後から掛けられた苦笑をにじませた声に、情けなくも気絶した男の傍に屈みこんでいた高耶が顔を上げて振り返った。路地の入り口に見知った男を認めて、形のよい眉を顰める。最初から見物していたと言うことか。

「見てんなよ、悪趣味な野郎だな」

声を上げることで、小さな紙包みを拾い上げる手から男の注意を逸らした。立ち上がるついでにさり気なく紙包みを、ジーンズのポケットに押し込んだ。

「こんな輩にやられるあなたではないでしょう。それで何が二人目?」

性懲りもなく掛けられる問いかけに、高耶は右手に持ったままの銃でアスファルトの上に気絶した男を示す。

「脅しただけで気絶したのがだよ」
「それで俺が三人目になるの?」

問いかけに高耶は答えず、ゆっくりと相手の眉間に向けて銃を上げる。外されたままの、起こされたままの撃鉄、右手の指先を引く、ただそれだけの動作で握る相手の命。首筋をチリチリとさせる昂揚感を押さえきれず、高耶は唇の端を舐める。

「脅しただけで失神するほど可愛くねえだろ」
「銃口を向けられて、失神しそうなほど悲しいですよ」

白々しい科白を吐く男が羽織るトレンチコート、下になったままの右腕には使い込まれた、声をかけたときから撃鉄は起こされて、おそらく照準は自分の心臓だと見ないでもわかる。男は動かず、高耶も動かない。絡み合う互いだけを映した視線に、背筋がゾクゾクして熱と愉悦が込み上げた。

「何から何までお前が教えたんだ。覚えのいい弟子で嬉しいだろう、直江」

くつりと直江が笑うと同時、笑みを浮かべたままの高耶が銃口を下げた。
「ええ、優秀な生徒ほど愛しい」


 悪戯が過ぎるのは困りますが、と穏やかに笑う男の纏う香水が、体に染みついた硝煙のにおいを消すためだと高耶は知っている。トレンチコートの中から出てきた右手のなかにはやはり銀色に輝く銃身、これ見よがしに直江は安全装置を元の位置に戻した。脇に吊ったホルスターの定位置に銃を入れると、高耶の傍に歩み寄る。失神して転がる男に冷たい一瞥をくれたあと、男が握りしめたままだった高耶の財布を拾い上げる。

「小者を苛めて憂さを晴らすのはやめなさい。彼らは顔役に一定額を納めなければいけない境遇なんですから」
「気づいたら路地に連れ込まれてただけだよ」

 財布を受け取りながら笑う高耶の目が言葉を裏切っている。

「路地に連れ込んだの間違いでしょう」
「人聞きの悪いこと言うなよ、ちょっと遊んだだけだろうが」

別に殺したわけじゃない、と物騒なことを平然と吐きながらジーンズのポケットに財布を戻すと、高耶は失神した男の傍にしゃがみこんだ。

「せいぜい『武田』の使い走り程度でしょう、財布の中身はあなたと大して変わりないと思いますよ」
「こんな奴の財布に手なんか出すかよ。ただバカみてえって思ったから顔を拝んでるだけ」
「バカ、ですか?」
「そ、バカ。こんなちゃっちいマグナムもって強い気になってさ、他人のこと脅して金とって、その金も上の奴らに取られて、こんな風に倒れたまんま死ぬの」

うつ伏せた男の後頭部に固い銃口を押し当てて、ごく軽く引き金を引く。直江が制止する間もなかった。

直江が息を呑むのと同時に、がちん、と鋼が火花を上げた音を聞いて高耶は喉の奥で笑う。やや顔を強ばらせた直江を見上げて口の端を吊り上げる。

「シリンダーはぜんぶ空だ。本気だとでも?」
「銃口を向けるときは殺す時、躊躇うなと教えましたから」
「市民の味方、警官サマの前でやるバカがいるかよ。消音器もねえから通報されるし、手袋もしてないから指紋がベットリ、こいつの自殺って工作も出来ねえじゃん。こんなんで更正院に行く気ないぜ」
「御世辞と要らない知恵ばかり覚えてますね」
「覚えのいい弟子で嬉しいだろ?」

 さっきと同じ高耶の問いに、返す直江の科白もさっきと同じ。

「優秀な生徒ほど愛しいですよ。ウェストタウンに美味しい生牡蠣を出す店があるんです。行きませんか」

 無言のまま高耶は立ち上がって、マグナムを手土産にジーンズの腰に突っ込むと、直江を追い越して夕食の誘いを承諾した。

 高耶は優雅なる路上生活者予備軍、いわゆるストリートキッズだ。

半地下にある海賊版やポルノばかり上映するボロくて小さな映画館で、チケット売りのバイトをして金を稼いでいた。四六時中死んだ魚みたいな顔と目をした客を相手に、小便くさくて薄暗い地下に籠りきり。仕事が終わって出てくる頃は日はとっくに沈んで、怪しげな看板が点滅する通りをふらつくのが、つい一週間前までの日常だ。

両親がいないわけではない。イーストタウン外れのぼろアパートに、引っ越したり急性アルコール中毒で死んでいなければ、今も父親が住んでいるはずだ。

父親はお定まりの呑む打つ買うの三拍子で、酒が入ると暴力をふるう。耐えかねた母親が妹の手を引いて出て行ったのはそう昔の話ではなかった。残された父親といえば母親を追うでもなく、素性の知れない女を連れ込んでは高耶を追い出すから、面倒くさいことこの上ない。おまけに女の一人が孕んで住み着いてしまった。邪魔者扱いされるのをこれ幸いと、高耶は早々に家を飛び出したのが二年前だった。

イーストタウンはビジネス街のウェストタウンに瘤のように出来た歓楽街という奴で、正式名称はなんというのか、高耶は知らないし知る必要もない。ウェストタウンが光なら、イーストタウンは影、のし上がる者と落ちていく者と、その両極端がコインの裏表のように並んでいる。

イーストタウンの表通りにしろ裏通りにしろ、昼間は灰色の影が淀んでいるが、一度夜になれば極彩色のネオンが輝く影でひらひらと泳ぐのが、女であったり男であったりトランプやドラッグであったり。御手軽に飛び交う金と同じで御手軽に飛び交う安っぽい親しみと楽しみで満ちて、誰に向っても開かれていても、誰も受け容れまいとするようなのが仄見える街だ。

当然治安の方は最悪で、六時に時計塔の鐘が鳴ってから一人歩きする女はコールガールですらいない。下手をすると男だって財布の心配と同時に尻の穴の心配をしなければいけないのだからお笑いだ。

そんな混沌の街にもそれなりの『秩序』という奴はある。ただ単に政府との合意がない『法』が施行されている街、つまりは『組織』が『統治』しているという状態だ。イーストタウンの二大組織が《武田》と《上杉》で、上杉のほうはかなりの古参、《武田》はここ十年で一気に組織が膨れ上がった成り上がりの新参だ。

チームを組んだストリートキッズも大なり小なり子の2組織の傘下に入って、その庇護下でこづかい稼ぎや住み分けをしている。通称をエサ場とか狩場とか言う縄張りをみんな持っていて、そこでけちな脅迫、窃盗、イカサマ賭博、ドラッグ売買などなど子供は大人の縮図という言葉を見事に体現している。

成長したら上に位置する『組織』の構成員、見どころがあれば幹部にまで昇れるという便利なシステムもすでに出来上がっていて(なにせ小さな頃から『世話』になっているのだから当たり前だ)、高耶のようなストリートキッズでも暮らしはきちんと成り立つのだ。






West Town 3thStreet
6:00 p.m







「そんで今日は何しに来たんだよ」

白い皿に盛り付けられた生牡蠣にレモンを絞りながら高耶が訊ねると、ウェイターからペリエの瓶を受け取った直江が笑った。

「そんなに邪険にしないで下さい。顔を見に、じゃダメですか?」

場所はウェストタウンの表通り、ランチ時にはオープンテラスに客が集うようなカフェめいたつくりのレストラン。テーブルクロスは目に染みるほど白く、ガラス張りの窓の向こうには劇場の放電灯やタクシーのテールランプ、街灯のオレンジ色の明かりが散らばっている。店内には高耶が一生わからないであろう優雅な曲が流れて、フォークが皿とたてる澄んだ音と、睦言のような低い話し声だけが響いていた。

「そんな科白は頭の中身と節操もない女に言えばいいだろう」
「言ったところで減るものじゃないのだから良いでしょう。本当に顔を見に来ただけですよ。狙われているのに、あんな堂々と歩いて平気なんですか」

口説き文句とも取れる言葉に対する不平を、取るに足らない言葉だと軽く流されて高耶は胸に落ちた不快感に眉を顰めた。この男はいつもこうやって高耶の感情を無用に苛立たせる。真剣味の見えない心配する科白もうそ寒いだけで、ますます腹が立ってきた。ぎろりと独特の眼差しで睨みつける。

「無駄口はどうでもいい。まだるっこしいこと言ってんなよ、お前がオレと飯食って、ハイ終わりなんてことがあるわけねえだろうが」
「穿ったものの見方をすると損をしますよ、その分じゃ情報が上手くつかめていないのでしょう?古巣に戻るわけにも行かないんですから」

暗に手持ちのカードを見せても良い、という相手に高耶は鋭い視線を向けて断る。

「よけいな御世話だ」

直江が古巣と呼んだのは、ついこの前まで高耶が所属していたストリートキッズたちのチームのことだ。だが現在、高耶は訳あって単独で行動している。

思い出して苛ついた高耶が真珠色に輝く牡蠣の殻をフォークでいじくっていると、直江が困ったように笑う。

「掛け値なしの親切なんて最初から期待していないんでしょう?ギブアンドテイクだといったはずです。あなたが協力してくれる限りにおいて、私もできうる限り協力する約束です。最初からそう構えられてしまうと、協力のしようもないんですよ、高耶さん」

そんなに信用がおけませんか、と笑いながらの直江の言葉に、高耶が目を上げた。

「お前が何考えているかわからない。オレに協力したところで何の得があるんだよ」

洗いざらしのジーンズにTシャツを着た高耶に対して、かっちりとした仕立ての良いスーツを纏った直江。御世辞にも目付きが良いとは言えないイーストタウンの少年と、どこかのにおいが希薄な男と、通り縋るウェイターが好奇の視線を投げるのも当然のちぐはぐな二人組だ。

直江は無用と名高いイーストタウン分署に配属されたれっきとした警部補である。半月前、高耶がチームから離れるきっかけになった事件に関ってはいるが、日々持ち込まれるいざこざで忙しい警察がわざわざ好きこのんで顔を突っ込むほど、出世に役立ちそうな事件ではない。調書を取って罰金を払えば終わり、出来なくても拘置所に何日か泊まれば良いだけ、死者が出た訳でもなく、他愛のないチーム同士が繰り広げる縄張り争いの延長のようなものだ。

高耶個人にとってはお気楽なものではないのだが。
だから一層、物見遊山といった風情の直江の態度がむかつくのだ。

「それはおいおい判るはずですよ、ただ言えるのは、あなたが考えている通り、純然たる好意ではないと言うことだけです」

直江の表情、仕草が表す真意を一つでも見落とすまいと高耶は直江を見つめる。臆することなく高耶を見つめ返す直江は置かれた伝票を形の良い指で取り上げると、軽く高耶に示した。

「勘定はこちらがもちますから気にしなくても結構ですよ。席を立つも立たないも、契約を続行するもしないもあなたの自由です、さあ、どうします?」

プライドの高い高耶が断ると最初から思いもしない口調と目つき、それをわかっていながら席を立たない自分に高耶はますます不機嫌になって、眼差しを鋭くした。選択権を高耶に委ねたようで、そのじつ主導権を握っている男に軽くあしらわれている状況が気に入らない。直江に命を助けられたことも気に入らない。

だが喉から手が出るほど、情報が欲しいのだ。

直江を睨んでいた目を外すと、横を通りがかったウェイターを呼び止める。メニューを持ってこさせ、追加のオーダーをする高耶のふてくされた顔を見て、直江はうれしそうに笑うだけだった。





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