仰ぎ数う春星、一、二、三
1.花匂う
2.はつ恋(1)
3.彼の話
4.はつ恋(2)
…………ちょっと続きます。
1.花匂う
校門から駅へ向かう道のりから横に一つ、まがると「ささのや」という中年夫婦とふくふくした顔がかわいいおばあちゃんが切り盛りするせいぜいが二十畳ほどの小さなスーパーマーケットがある。帰宅途中の生徒や部活前にいったん飲み物や食べ物を買いにくる生徒でそこそこに繁盛していて、雨染みのできたビニールカバーも昔懐かしい店舗だ。
そこから角に一つおりるとゆるやかな坂道があって立派な鳥居と参殿、本殿のある大きめの神社の裏手につづいている。近道でもなく指定の途ではなかったし商店街からはずれて住宅街にはいるため登校時も下校時も人気があまりない。
神社のまわりにある森の空気が好きで、夏場の木陰はすずしいのが好きで寄って見たのはたまたまだった。週に一度の部活休みの月曜日、掃除をおえてから一人で下校してるときに見つけた。
(へえ)
やっぱおったんやなァ、というのが最初の感想だった。噂でちらほらと聞いてはいたが実際見るのとはやはり違うものだ。
西の空に桜雲が鈍くかがやく夕方、葉桜の涼やかなにおいがのる風に、鈴音がきこえそうなほどゆれる満天星の白が暗がりでいよいよ目に付く坂道のなかば、ならんでたつ背中ふたつを見つけた。
高等部の制服をきた女子の左側、車道のほう手のひら一つほどの距離をおいてあるいている。めずらしく自分でテニスバックを背負ってあるく背筋ののびた背中と淡い髪の色。頭が小さいせいで背が高く見える人間なんてめったにいないから跡部で間違いはないだろう。
見えた横顔に忍足はへえと目を瞬いた。ふたつ年上の先輩で、女子バスケ部のマネージャーをしている。名前をだせばたいがいの人間が「あの」と言葉をつけるくらいには美人で有名な先輩だった。
いい加減、のぞきのような真似もばつがわるいし振り向いてみつかったら気まずいことこの上ない、今のうちに退散しようと横の路地にはいりかけた忍足の目の前。ブレザーからのぞく細い指先、ちいさくぶつかった白く細い手を跡部の手が握りこむのが見えたのに、心臓がひとつ、おおきく跳ねた。
うわ、と心中で奇声をあげた忍足は足早に路地を曲がって商店街まで歩いていく。明かりのきえた居酒屋のうすよごれた看板や、有線でまのぬけた編曲になった数年前の流行の歌が耳元を通りすぎていく。
別になにもカップルをみるのが始めてなわけもなく、手を繋いでいるのだっておかしいわけではない。だけれどあの閃いた指先の白さや、多分、極力さりげなさを装っただろうまるで宝石でもつかむみたいな恭しさ、優しさとかいったものがいけなかった。
いっそキスしてたほうがまだ慌てなかっただろうと思う。
他人の色恋で頬を染めるなんて恥ずかしいと思いつつ、すこし喉が渇いた。足元を残んの花がひとひら遊ぶように飛んでいく。
2.はつ恋(1)
公費助成増額署名の書類が毎年くばられるたびにこんなの必要あるのかと思うくらいには有名な学校なもので、運動部も強いし高等部の偏差値も普通課の国立クラスになるとばかほど高い。金持ちの子は金持ち、選良の子は選良になる。最高学府の保護者の平均年収は1千万以上で国内一位であるというのは暗黙の話だった。
そんな学校であれば試験週間になってしまえば放課後の部活動はすべて禁止される。といっても全国区のためなかば暗黙の了解になっているSHR前の朝錬及び、昼休み中の練習は禁止されてはいなかった。
「あ」
間の抜けた声をあげた忍足に携帯をいじくっていた跡部は顔をあげた。
期末テストにはいり試験科目は多くて一日に三課目、拘束時間は午前で終わり部活動は休み、乗り換え駅で食事ついでの勉強をしようとはいったファミリーレストランの中だ。他の数名はいたが皆ドリンクバーをとりに行っていて、跡部と忍足が席に残っているだけだった。部活以外ではろくに会話もしたことがないからテストの話だけですぐに会話は途切れ、お互い黙々と別のことをしていた。
ビルの二階にはいった店舗の窓際の席からは通りがよく見える。
「どうした」
「いや、親父みつけてもうた」
「どれだよ」
背もたれにつけていた背中を浮かすのに忍足は苦笑し、窓ガラスの外を指差した。
「案外食いつきええなあ。あそこや。職場近いんよ、ここから。時間もちょうど昼休みと違うかな」
「へえ、若いな」
「髪がちゃんとあるからやろ。あと白髪もあんまないし」
視線を戻した跡部が忍足の輪郭をなぞり、また窓の外を見下ろす。
「おまえ結構似てるな」
「自分じゃようわからんのやけどな。……あ」
なんだ、と目を眇めた跡部に、いやなんでもない、と笑った忍足はトイレに行くといってテーブルから立ち上がる。もう一度窓の外を見てから、目を伏せた。
夜には居酒屋にかわるビジネス街の一角、サラリーマンたちの昼食にと弁当がうりだされている列に並んでいる。父と談笑する女性の横顔に懐かしい、と忍足は思う。
(こっちにおるなんて、知らんかった)
小さく着信を知らせる振動音に顔をあげる。跡部がフリップを開くところだった。僅かに眼差しが綻ぶ。下手に整っているせいで笑わないと不機嫌に見えやすい顔立ちだが、笑うとやたらと魅きつける色になる。
「……彼女?」
「まあな」
ぱちりと携帯を閉じた跡部が広げていたプリントやノートを片付けだすのに、宍戸たちが切れんで、ともらすと、知ったことかと鼻で笑う。
「現社と世界史、あと数Tの過去問くれるってよ」
「まじで。って使えるん?」
「ほとんど同じらしいぞ。だから許せって言っておけ。FAXで流してやるよ」
じゃあな、とテニスバッグをもちあげて颯爽と出て行ってしまう。後輩の日吉もそうだが頭から爪先まで一本芯が通ったような姿勢のよさで、実際より身長が高くみえる。まめなことで、と感心してから、許せなんて言って存外にあたりが柔らかかったことに機嫌がよかったんだろうかとふと思った。
俺んちにFAXなんてねえよ、と宍戸が怒ったのは五分後のことだ。
あんた知らんかったん、と姉に言われて忍足は冷蔵庫から牛乳を取り出そうとしていた手を止めた。
「四月からしばらくこちらに勤めますからってわざわざご挨拶に来てくれはったやないの」
「そうやったっけ?」
「部活でいなかったんと違う?」
「……大会もあったしなぁ」
まだ関西に住んでいたころ、父の勤める病院で研修医としてきていたのが彼女だった。彼女の実家が近かったこともあって家ぐるみで仲が良く、自宅に幾度か招くくらいのつきあいもあって、よく遊んでもらったりもした。初めて会ったときはセーラー服だった。
なにおちこんどんの、と笑うのに、眉をひそめた忍足は牛乳パックを取り出し口をつけた。じろりとネイルをのせたばかりの爪から目をあげた姉の叱責が飛ぶ。
「汚いから不精するなゆうてるやろ」
「飲みきるんやったら口つけたほうが洗いもんがすくなくて効率的やろ。皿洗いもようせんのがいっちょまえに文句いうなや」
図星を刺された意趣返しとはいえやりすぎた、と思ったときには後の祭りだ。へぇ、と冷笑を口元にはりつけた姉に忍足はため息をつく。突っこまれるのがいやで、つつき返してしまったが最悪だ。藪をつついて蛇がでたどころの話ではない。
昔の話をほじくりかえして責められるのに早々に忍足は相槌だけを返して聞き流す。ふと目の前で白い両手が打ち鳴らされた。いわゆる猫だましだ。姉が長い睫を瞬かせて睨んでくる。
「相槌しとれば過ぎるとおもうとるやろ」
はいそのとおり、というわけにもいかず「まさか」、ととりあえず笑うが長い付き合いの姉を騙しおおせられるはずもない。説教は二時間に及んだ。
3.彼の話
「今日はいつにもましてグロッキーだなー」
「姉ちゃんにつかまっとってん。試験前に説教二時間やで?今日のが現国でなかったら殺しとるわ」
低血圧のいつにも増して低い声にシューズの紐を替えていた向日がひでえな、とまったく同情のみられない声で笑う。上履きを履き替えながら、はやく部活してえな、と呟く。
「一日ラケットにさわらねえと三日は感覚戻らないんだよな。あー、くそくそ」
「わかるわ、それ」
「だよな!」
「ま、今日入れて二日の辛抱やで。明日には終わりや」
「いろんな意味でな!部長に通知表提出が義務とかいってありえねえよ」
「監督の方針なんやから文句いうてもしゃあないやろ。それに中学は義務教育やから留年もほとんどないんやし、下手しても大丈夫やって」
ぱっとそれこそ向日葵のように白い歯を咲かせて笑うのに苦笑が零れる。現金だ。
「そっか!」
「赤点の奴は練習試合に出させねえけどな」
笑い含みの声に振り向けば跡部が立っていた。勢いよく向日が顔をあげる。
「はあ?!」
「義務教育中の勉強なんざ机の前で『集中力を持続させる』ための訓練でしかねえってことに気がつけよ。試合に集中できねえ奴は勝てねえ。勝てねえ奴は使えねえ。使えねえ奴は」
わかってるよなァ、と跡部は屈みこんで向日のめのまえで唇をゆっくり吊り上げる。片眉をしかめ、跡部と対照に唇を引き結んだ小柄な彼はきっと睨み返した。
「っせぇな。結果だせばいーんだろ」
フン、と鼻を鳴らした跡部は上体をもちあげると顎をしゃくって自分の教室に行けと促す。指定のスポーツバッグを肩にかつぎなおした向日は数歩、歩いてから振り返った。
「……見てろよ!」
廊下を上履きでふみつけ、のしのしと歩いていく小柄な背中を見送った忍足は、ふと横をみた。
「今のって、ほんま?」
「あァ?」
「試合にって奴」
ぱちりと瞬いた跡部は、忍足に視線を流しやって片方の唇を悪党のように持ち上げた。
「補習に出ない限りな」
「……なんやのそれ。部活関係なしやんか。補習ほかして部活に出るなんてまず有り得ひんやろ」
集中力云々の無駄な説得力はなんだったんだと首を傾げるのをよそに、彼は発破だろうが、と笑う。忍足は理解できん、と踏みつけていた上履きの踵を直した。
「補習なんて無駄なことに時間とられて平気な奴にコート使わせるかよ。人事を尽くさない奴に、勝利はねえ。勝ったとしても」
そりゃ相手が自滅しただけだ、と切り捨てた。
「なんやろ、それ聞いたときアイツ違うんやなあって」
へえ、そうなんだ、という彼女にうん、と頷きながらも、なにか言葉を間違ったという気がして、いい訳のように付け加えた。
「批判とかとちゃうで」
「うん、わかるよ。テニ部の子って、基本的に全国クラスだからガツガツっていうか、……ちがうな、いい意味で自信があるよね」
「ああ……、うん、そう。それ。ビジョンが違う」
「特に跡部君て自信て言うか自負って奴かな。努力があって、たしかな実績があって、その上で、みたいな奴でしょ」
そう、まさにそれ、と頷いて、適切な言葉を見つけるのが上手いなァと感心する。いい加減、氷もとけきったのでドリンクバーをまた取りにいくことにした。
別段、跡部と親しいわけではない。なんとなく最近、目に付くことが増えたような気がするだけだ。元から目だつ人物ではあったけれど、見つけるとどこか観察するような自分がいることに気がついた。
クラスも一緒になったことはないし、部活中も二人組みでやるダッシュやラリーの相手を務めることが多いわけでもない。今まで話したことがある合計時間をたして一時間いくかも怪しいところだ。
だから困った。
なんやのこれ、ともってきたグラスを机におきながら彼女にきくと首を傾げて、だって先輩だもの、とあっさりいった。
「……あ、そか」
そういえば彼女もバスケ部だった、といまさら気がつく。隣のテーブルにいるのは跡部とその彼女である先輩だ。運動部が運動部同士とくっつきやすいのは多分に活動場所がちかいことや部活の終了時間が似通ってることにあると思う。
女子同士が顔をよせて時折大きく笑い声をあげて話を弾ませるのに、どことなく居心地がわるい。グラスのアイスコーヒーをやたらと早く飲みきってから、思い出して頭を下げた。
「あ、こないだは助かりました」
え、と意外そうな顔をするすこし大人びた顔に、やっぱり年上なんだなとしみじみ思う。目が合うと、姉がいてそこそこ女子と話すのが苦手な訳でもないのにちょっと気後れがする。同学年の女子でも数人くらいにしか感じない、あきらかな違いがある。女子というより女性といったほうが正しい色。
「テストの。跡部から回ってきたんで」
ああ、と目尻を和ませてほとんど問題変わらなかったでしょう、と向かいの跡部にいう。仕事してねえよな、と目を伏せて笑う顔にあれ、と目を瞬いた。
学年が二つも違うとなにを話していいかよくわからない。あまり知らない同士で接ぎ穂がつきて会話が弾むはずもなく、結局連れ同士で話すことになる。
おそらく気を使ってくれたのだろう、先輩に頭をさげた彼女が出ようと促すのに助けられた。こういうところが好もしい。
ファミレスをでるときに彼女が呟いた、仲いいね、とどこかぼんやりした声に頷く。目を伏せた面差しの意外な柔らかさを思い出す。たぶんアレは照れとかそういったものだった。木漏れ日が肩口に揺れるなか、ぱちりと見あげてくる視線とかちあって、忍足はへにゃりと口元と目元を綻ばせる。彼女も笑った。
中てられたというより、伝染した。
つないだ彼女の手は思ったより小さくて、驚いた。
以来、なんとなくよく二人でいるところが目についた。ふと横をみると一つはずれた通りを手をつないであるいているところや、人気のない理科棟の階段で話しているところ、特別教室のあつまった新棟の階段まであるく背中や、裏になる西門の自転車置き場のちかくにたたずんでいる彼女の姿をよく見つけた。
(仲ええなあ)
そのうちにお互い部活が一緒という気安さからか、彼女達が連れ立って待ってることが多くなって、なんとなく跡部と忍足も部室から校門までの行動が一緒になった。
仲良くなったよな、と最近ダブルスで組まされることが多くなった向日に何気なく指摘されて、ちょっと驚いたりもした。
4.はつ恋(2)
円い群青に小さく光が散らばっている。もう少し、と動かした指先に力を入れたせいで、不意ににじんで光は消えてしまい、顔を上げた忍足は嘆息した。星明りも寒々しい夜空にのぼった白い息が街灯の明かりをやわらかく暈かして消える。
「よう見えんなあ」
「ピントは触るなっていったろうが」
バカが、と跡部のあきれたため息になにもそこまで言わんでも、とあいまいに笑って首をすくめた。寒い。
「寒くてかなわんわ。なんで今更うちの先生方は天体観測のレポートなんかさせんのやろ」
「今の校長が七夕にプロポーズしたから天文関係がすきなんだよ。秋の文化的行事で『銀河鉄道の夜』やったのもそれだ」
「……ほんま?」
しれっと答えた生徒会会長は頷いて天体望遠鏡をのぞきこんでいる。
「赤と黒」だの「椿姫」だのが大好きな学校の癖に珍しいなあとは思っていたのだ。
開放された校舎屋上のそこかしこで設置された天体望遠鏡をかこむ生徒たちの姿が見えた。星座早見表にペンライトを当てたりメモに感想を書いている。
「驚きやな、あの豆ハゲがそないロマンチックな馴れ初めとは」
「ひでえな」
「そういやこないだジローが豆ハゲいいよったとこに監督がとおりかかったんやけど、あの人、真顔のまんま話続けよったで」
「……あいつどれだけ自由なんだ。身長もハゲも遺伝の要因がでるんだからとやかく言うな。本人じゃどうしようもねえんだからよ」
「それフォローのつもり?」
監督にはつっこまないのか、という言葉を呑みこんで一応たずねる。彼は答えない。マフラーに口元を埋め、くつくつと機嫌のいいライオンのように笑う。寒さのせいか人より幾分か白い頬も貝殻のような耳もわずかに赤くなっていた。行き過ぎる電車の音がどこか遠く聞こえた。夜の町は静かだ。
PTAが作ってくれた差し入れで夜食を済ませて子供たちはそれぞれ家に帰っていった。乗り換え駅に差し掛かったところで、跡部がいつもと違うほうへと歩いていくのに、首をかしげながらも別れた。
「どっか用事でもあるんかな?」
「ん?」
「跡部。あいつ、3番線のほうやろ、いつも」
「先輩に会いに行くからでしょ」
地下鉄に乗り換える道を歩いているところで、さらりと言われて、ようやく気がついた。
「相変わらず。仲ええなあ」
「見ててなんか安心するよね、あの二人」
あれ、と彼女が声をあげるのに斜め下のつむじをみる。
「なんかあそこだけ、アスファルトきらきらしてる」
工事をしたばかりなのか、色が暗くなったアスファルトが確かに街灯の光を浴びて、スパンコールを砕いたみたいに小さく光っていた。
「……俺なあ、あれ、むかしダイヤだと思っとったんよ」
「ダイヤってダイヤモンド?」
それはないでしょう、とかわいらしく笑うのに、まあそのとおりだと忍足は首の後ろをなでる。
「年上にこうやねんで、ってきっぱり言われると、ちっこいころってなんでも信じてまうやろ」
「あるねえ」
「あれで、鉛筆もダイヤも一緒やねんで、って大嘘もっともらしく言われて、納得してもうたんやなァ」
ひどいねえ、といった彼女が朗らかに笑う。
「小学生五年まで信じてたんやで、ひどいやろ」
それってお姉さん?と笑いながら聞かれるのに頷く。
嘘だった。
今度からお姉ちゃんの勉強見てもらうことになったんや、あんたもわかんないことあったら訊いとき、と母は言う。客間になっている和室のふすまはぴったりと閉められていた。
「家庭教師の、そういうの?」
「ううん、お向かいの」
「へえ。」
「高校受験も終わったやろ、成績ええっちゅうんは聞いてたんやけど」
母親は珍しくケーキと紅茶の準備をしながら、有名な私立校の名前を挙げて見せた。クラブで遊んできた帰りだからおなかがすいている。じっとみていると、あんたの分は冷蔵庫、と母親は顎をしゃくった。
「お姉ちゃんはほら、英語と数学はできるけど理科がちょっと苦手やろ。だからちょっとお願いしたんや。一週間に一回やけど、業者頼むよりよっぽど安いし、わかりやすいて」
あんたも宿題わからんのがあったら、一緒に座っとき、といわれてお盆を持たされた。
ふすまを開けるときに、とても緊張したのを覚えている。
駅まで別に用事があったわけでもないのに、コンビニに行く用事があるからと偽って一緒に歩いたこともあった。公園や学校が途中途中であるから、たまに変質者がでることもある暗い道で、たまに怖いとこぼしたのを覚えていたからだった。
そのころはまだ忍足はやせぎすで、ひょろひょろと身長ばかりがのびていた頃で、身長だけは小柄な彼女と同じくらいだった。
あすこ、と指さした彼女は笑っていた。「あのキラキラしたの、ダイヤの欠片なんやでェ」
「……嘘やん」
「なんや、ゆうし君、知らんの。ダイヤモンドってなァ、C、炭素でできとって、結合の形が違うだけで鉛筆と一緒なんやで」
「ほんまかァ?」
疑わしい声をあげた忍足に彼女は笑いながら、そんなしょーもない嘘ついてどないすんねん、と笑った。すこし白い歯を見せて笑う、横顔もまともに見れなくて、みたアスファルトは確かに小さくきらきらと輝いていた。ダイヤモンドにしかもう見えなかった。
「ひとつ賢くなったわ」
いう声はすこしかすれたし震えた。頬はすこし熱かった。たぶん、はつ恋だった。