隣に座ったまま過ぎた時間は十秒か十分か一時間か、ちっともわかりはしない。骨ばった指が立方体を組み替えていく。ひねってはもどり、またひねって、一面にそろうキューブの色がだんだんと揃っていく。恭しい触れ方もあざとい奪い方も知っている指は、いま淡々と動いている。
「なあ」
かかった声に跡部は眼差しをもちあげる。手元の立方体に目をおとしたままでいる忍足を一瞥すると、すぐに手元の雑誌へと目をもどした。
「……無視すんなや」
「話は聞いてる」
勝手に言えばいいと放り出せば、眼鏡の奥にひどく子供じみた光をよぎらせた忍足はこれ見よがしにため息をついた。だが跡部は視線ひとつよこさない。がちんと完成した一面の白を崩して一回転。下瞼が引きつって照準を合わせる精緻さで眇められる。
「なあ……なんで?」
四台ある携帯のうち、必要最低限のものだけを残してすべて拒否をかければあたりまえだろう。最近は会社のほうが代行してお繋ぎできませんと告げてくれるから便利なものだ。便利すぎて疎かにしてしまいがちになるのは考え物だ。
わずかにうつむいた跡部の首筋、窓からおちる光が糊のきいた白い布地に散らばっている。色をそろえた六面のキューブを放り出し、光をさえぎるように伸ばした手を躊躇わせた忍足はひどく臆病な仕草で跡部の左手に触れた。
踵すらやわらかい女の足を触るための指だ。掴めば砕けてしまう女の顎をもちあげるための指だ。眼差しも仕草も分不相応に思わせぶりで饒舌に過ぎて、やすっぽすぎる。もったいぶればいいものを。
「あれは、あの子は違うて言ったやろ。お前かてわかったって」
「ああ」
「なら、なんで」
春の猫みたいに媚びた声だ。指先だ。慎みのない女の足をひらくための浅はかな手練手管を駆使するのはあまりに愚かで笑えてくる。冷めて興がそがれるだけなのにはやく気がつけばいい。女の足は存外にかしこくできているのをお前は知ろうとしなかったのだろう。花に擬態したあの生き物たちは聡明で可愛くあざとくしたたかで誇りかな奴らだ。立方体の色を予定調和にそろえるだけの指先を手に入れ、分かったつもりで知らないお前を憐れみ愛しく思う。
左の手首を捕まえ血の流れる内側にかさついた唇をおしあて、それから薬指の背に、伸び上がってこめかみに頬に。耳の後ろの窪みをたどり、顎をすくいあげる前に跡部は唇をひらく。
「唇はよせ」
「……なんで」
「なんででも」
おまえはもっと足掻いて額を擦らせ惨めったらしく這いつくばって声を嗄らして乞うてみろよ。足にすがりついて膝に懇願の口づけをしてみろ。お前の安っぽい自尊心の奥から痛みやら苦味をつかみ出してばらして晒してこの目に見せろ。
「俺だけの」
聞き落としてしまいそうにささやかで低い声音を落とし、俯く男に左手をあずけたまま跡部はせいぜい黙っている。
「俺だけの、勘違いとちゃうやろ。お前かて」
額づくことも請うことも跡部には笑えるほど容易い。笑う忍足の唇が泣きそうにゆがみ苦しいのだと言っているのをせいぜい憐れむ。
「なあ」
「ああ、好きだぜ」
だがそれで俺が足を開いてやるとでも?
お前の唇も言葉も使い古しの下着のようで耳に優しく肌に心地いいが節度がなさすぎるとおもわないか。浅はかなお前はたいそう可愛いが代償があまりに安すぎやしないか。勝者も敗者も太陽の下ではあまねく同じだ。なら俺にもお前にも褒美は与えられて然るべきだ、そうだろう?
跡部は笑う。笑って手首にまつわりついた忍足の指先をつかまえ、引寄せて唇を寄せた。忍足の指が震えるのに眼を閉じて喉を鳴らした。吐息を噛殺すのに唇をつりあげる。
好きだなんて言葉ひとつで人間一人をどうにかしようなんて、お前はばかにしすぎている。途方にくれたお前の心臓が真実おまえのものだと思いこむのを早くやめてしまえ。分かるまで付き合ってやるほど俺の人生はヒマじゃない。振り返って立ち止ってやるまでがせいぜい花と知れよ、負け犬。
「忍足」
白くなるほど噛みしめた唇の傷にそのときこそ俺はいとしくてたまらないキスをしてやる。
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