不在着信が三件、書類を提出しにきた法務局をでた秋丸はなんだろう、と首を傾げながら車にのりこむと携帯電話を開いた。基本的に法務局も集配をする中央郵便局も市役所も駅から離れていて、免許は必須だ。事務所からの連絡かと思ったが並んだ履歴にはいい加減くされ縁になりかけている友人の名前だ。
メールすればいいのに、と思うが、ニチニチ親指うごかすのなんてめんどくせえ、という友人はもっぱら電話か直接あって話すかのどちらかだ。時間を確認した携帯をひらくとすぐにコールバックをした。
「法務局から直帰します」と手短な文が事務所の共用メールアドレスにとどいたのは間もなくのことだ。
週末、白熱球の明かりがにじむチェーンの居酒屋の片隅、カウンターに腰掛けるや開口一番、結婚した、と低い声でいった榛名に秋丸はふーんといってからおめでとう、と続けた。お祝いとしてはごく当たり前の言葉だったが、榛名の反応は当たり前とはだいぶ違った。
「そういうんじゃねえよ」
「なにがだよ、めでたいことだろ。いつ?どんな人?」
唾とんだだろ、と顔を顰めた秋丸にだからちげえよ、と榛名は続けて前髪をがしがしとかき回してから、言葉を探すようにわずかに目をふせて口をひらく。
「なんか、勝手に籍はいっててよ、こういうの、おまえとかならわかるんじゃねえの?」
これは本当になにかおかしい、と悟った秋丸は潔く長丁場を覚悟して、昔から説明が飛ぶ榛名に順を追って説明させるべくメニューを開くと注文を始めた。ほんとうに週末でよかった。
「で、どういうこと」
「あー、姉貴が必要だったみたいで戸籍取り寄せたんだけど、そしたら俺の籍がぬけててさ」
「結婚したら親の籍からぬけるからね」
「そしたらなんかよ、配偶者んとこに、中国人らしい女の名前がのっててよ。知りもしねえ女の名前なんだよな」
蛇頭じゃない、と秋丸はけろりと言った。弁護士事務所にバイトをするようになってから、やはりマルボウだのなんだの、アンダーグラウンドな側面を見る機会が多すぎる。知らないだけで法の網の際にいる人間はたしかにいるし、意外と多いのだ。
「戸籍の取り寄せって、自治体にもよるんだけどさ、郵送でできるから本人の照会って厳しくないんだよね。銀行は別だけど。なんか個人情報盗まれた覚えとかないの」
「免許証落とした」
「それだな。どうせ、警察にすぐ届けなかったんじゃないの」
「仕方ねえだろ、練習ほかして出れるかよ」
おまえなあ、と秋丸は俯いて、榛名の座る椅子の足をけった。あにすんだよ、と吠える榛名にばかか、と毒づく。
「クレジットカードと同じくらい悪用されるんだから、気をつけろよな」
「わかったっつの。説教とかすんなよ」
「そんで、どうしたいの。うちの先生に訊いてやろうか?」
「あー、そんでよ」
葱鮪をかじりながら榛名が、思い出したようにいう。まだなにかあんのかよ、と秋丸は中ジョッキを空けると追加、とカウンターに置いた。
「なんか俺の子供っつーのが、出てきてよー」
え?という秋丸の声はお待ちィ!と威勢のいい声にかきけされてしまった。
あ、榛名さん待ってたんですよ、といったマンションの管理人に、榛名はゴミ出し日またまちがったっけ、と思いすみません、と頭を下げた。帰宅されたら管理人の部屋まで顔をだしてください、とポストのところに張り紙があったのだ。
「いやあ、おいそがしい方だから携帯も繋がらなくってね、困りましたよ」
ただ単に不精して電池がきれただけだがわざわざ告げることはない。初老にさしかかった住み込みの管理人は玄関を開けるとおい、と中に声をかけた。
「お迎えがきたよ、タカヤ君」
「すみません、ありがとうございました」
やわらかい光りがこぼれる廊下を、両手に白い箱を抱えリュックを背負った子供が歩いてくる。ついてきた管理人の奥さんが、よかったわねえ、と言って袋にはいった菓子をもたせるのにすこし笑って頭を下げた。
さっぱり話が見えず、榛名の頭の上には疑問符が飛び交っている。
小学校の四年生くらいだろうか、運動靴をゆっくりとはいた少年は榛名を見上げた。
「遅いよ、父さん」
は、といった榛名に管理人の奥さんがサンダルをつっかけて出てくる。ちょっと、と手招きをされるのに榛名は近寄って背中を丸めた。父親の従妹にあたる人だかられっきとした親戚で、ここに住むのを決めたのも若干安くしてもらえるからだ。150センチくらいの小柄な人だから長話をされると首がいたくなってしょうがない。
「元希くん、あのね、だめじゃない、無責任なことしちゃ」
「……」
「タカヤ君、三時くらいからずっといたのよ。買い物にでてからもずっといるもんだから声かけて入れてあげたんだから」
「……」
「それにあの子、あれよ。あの抱えてる箱、お骨よ。ちゃんと供養してあげなきゃだめよ」
もうだんまりなんだから、と怒るが、なんのことはない、事態は榛名の処理能力を超えていたのだった。
「……どこ行くんですか」
「ケーサツ」
短く答えてずかずかと歩き出した榛名の後ろ、もっと早いリズムで軽い足音がついてくる。
「なんでですか。だってあんた、俺の父親ですよね」
「おまえなんかしらねえよ。つまんねえ嘘ついてねえで家帰れ」
「でも、『トーホン』にあんたの名前がある」
「知るかよ。つかトーホンてなんだ……あー、戸籍か?」
首を傾げた榛名に、横にならんだ子供は声変わりも遠いだろう高い声で指摘する。
「イクジホウキになるんじゃないんですか。そういうの、駄目でしょ」
榛名だって漢字もかけなさそうな単語を平気でつかった子供は、立ち止まるとぎゅう、と白く蔦模様が浮かぶ(もしかしたらちゃんとした名前がある紋様かもしれない。榛名が知らないだけであって)袋におさまった箱を抱えこみ、榛名をにらみあげた。青白い街灯の光りが剥きたての果物みたいな眼のうえで揺れていた。
「……それに、ケーサツなんか行ったら騒ぎになる。オレはあんたの子供だって、言うつもりだし、間違ってない」
「おい」
出した声は思いのほか低く苛立ちがにじんだ。子供の肩が一瞬はねるが、ぎっともう一度睨みあげてくる。
「っさわぎに、なったら困るのはアンタだ!」
「……」
はっと洩れた溜め息は暗がりへと重たく落ちて足元によどんだ。
「脅してんの」
「ちがう」
即答に榛名は目を眇めた。丸い大きな頭、片手で簡単につかめるだろう首、アスファルトに突っ張った足が、生まれたての仔馬みたいだ。
「オレの、権利って奴です」
「……」
あーもう面倒くせえな、と呟いた榛名はポケットから引っ張り出した携帯で時間を確かめるや、回れ右をした。ずかずかと街灯の下立ちどまったままの子供の横を通り過がりざまよろけた子供の手から後生大事に抱えた白木の箱をとりあげた。なにすんだよ、というのに落ちかけた位牌を子供のフードにねじこんで、今まで来た道を戻っていく。
「……っ、どこ行くんだよ」
「帰んだよ。お前も来い」
一晩だけだぞ、というと、年に不釣合いな深い皺をよせた子供が街灯の明かりの下から一歩足を踏み出す。肩越し、横目にみた榛名は面倒くせえな、と呟いて、早く歩けと子供の襟首をひっぱった。
あいさんありがとう!
→「054:子馬」
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