I have a dream





道ばたにはもうろくに木の葉さえ落ちていない。寒々しい梢をむき出しにした木々が風にゆれて震えるばかりだ。

「冷えんな、今日」
「雪ふるって」
「あー、それでか。雪降るときって、なんか温度ちげえのわかるよな」

あー、ちきしょ、と身震いをした榛名は鼻先をマフラーに埋めた。うつむいた阿部もまたマフラーに顎をうめる。息ですこしだけ温かい。鼻の先がじんじんと痛いほどに冷たい。手袋をしてポケットに手をつっこんでいるにも係わらず、指先が悴んでいる。暗くなりだしてまた冷えてきた。見あげた曇り空は夜の青にしずみだしていた。

「激励くらいねえのかよ」
「試験、頑張ってください」
「おー」
「あんま頭よくないんすから」
「……お前よ、さっきので終ってたら理想の後輩だったつのに。つくづく期待を裏切る奴だなオイ」

かわいくねえ!と榛名が唇を尖らせて腕を伸ばす。がしりと頭をつかまれて阿部は悲鳴をあげた。握力がとんでもなく、文字通り頭蓋がきしむ。

「やめてくださいよ、バカがうつる」
「あんだとォ!……まあいい、明日は我が身っつーんだよ」

ぱっと手を離した榛名が笑うのに、阿部はしれっと答える。

「オレ、そこそこできますから」
「あ、そ。あー、野球やんのになんでこんな面どいんだかな」

じり、と枝を踏んだ榛名が爪先をもちあげた。蹴られた枝がころがって、渇いた音をたてる。それを見つめながら、阿部は口を開いた。声はわずかに呆れた。

「……めんどいって言ったって仕方ないでしょ」
「るっせ」

捕手がいねえと野球ができねえのもこの人にとっちゃ仕方ないことなんだろうけど、と阿部は思う。

(あんたとバッテリーに、なりたかった)

時もあった、なれたと思っていたと、言えてしまう。

結局、かつての自分の憧憬も願いも、彼にとっては付随する面倒なものの一つでしかなかったのだ。きっとあったことさえ知らない。

数限りなく味わってきた砂を噛むような、失望というにもかなしみというにも、すでに渇ききってしまった思い。なにか言おうかと思ったが、どうせ聞く耳はないのだからもう、いいのだ。すべては終ってしまっている。今は恨み言を吐く酸素すら惜しい。

「あー、本命受かってりゃいいけどよ」
「第一志望、どこなんすか」
「武蔵野。設備しっかりしてるぜ。おまえ覚えとけよ」

やたらと強い声で言われた意味が汲み取れず、阿部は顔をあげる。

「……なにを?」
「だから、武蔵野第一」

ねめつけるような強い眼差しで上から言われるのに幾度か瞬く。わかりました、と頷くと、それでいいんだよ、と彼は鼻を鳴らして歩き出した。ぽつぽつととりとめもなく話しながら進むうち、別れ道にさしかかって立ち止まる。

じゃあ、またな、と街灯の光の中、肩越しにふりかえった榛名がひらりと左手をふった。花のように白い息を吐いて笑っているのに、頭を下げる。

「さよなら」

暗がりにたたずむ阿部の表情など彼には見えない。わかりはしない。わかりもしない。また、なんてもうない。二度とない。

(あんたは知らない)

怖くて震えた。防具なんてあったほうがまし程度のことでしかなかった。それでもミットごと反動でおされそうになる体を落としこんでようやく捕まえたとき、首筋が粟だった。手のひらの血管がちぎれてるにちがいないくらいの痺れと熱の鮮やかな烈しさ。

(あんたは知らない)

漕ぎ出した自転車のペダルはひどく軽かった。踏みつけて、ひたすらに走らせた。見開いたままの眼球が渇きに耐えられず、涙がわずかに浮かび町明かりがすこしにじんだ。頬の横を通り過ぎる風はひどく冷たかった。

(オレは、ちゃんとした捕手になるんだ)

絶対に、と阿部は唇を噛み、おおきく息をつく。白い息はあっというまに風に浚われていく。やがて白いものがちらつきだす。この冬最初の雪が降り始めたようだった。





→「021:はさみ」
文字書きさんに100のお題より
配布元:Project SIGN[ef]F



back