執行猶予はありません
ばちん、と頬をたたかれて榛名はむっと鼻の頭に皺をよせる。はりついた瞼のまま、頬の上におかれた手を押しのけて寝返りをうった。どこかに新聞が投函される音が鼓膜をたたき、眠りが一気にやぶれたのがわかった。
「……」
むすっとしたまま起き上がって時計をみると、午前三時をすぎたあたりだ。寝なおすかとまた布団にたおれこもうとしたところで、ふと目をまばたいた。
(なにやってんだこいつ)
枕につっぷしている阿部は足のあいだにたぐまった布団をはさんで、なにやら鼻にかかった声をあげながら頭をぐりぐり動かしている。夢でもみてるのかと思うと、一人だけ安眠を貪ってるのが癪にさわった。
足で肩口を蹴ってひっくり返すと、いやがるようにシーツをまるめてうつぶせようとする。ふと下にしかれた手が胸元につっこまれてるのに気がついた。
目やにのたまった目をこすりながら、カーテンをうすくあける。腹でも掻いてるのかよ、と思ったところで違うことに気がついた。
「!」
猫がねぼけて足踏みするように、ぐしぐしと乳首をいじっている、というより掻き毟っている。そういえば皮膚科の薬袋があるのをからかってインキンといってひとしきりケンカをした。そのあと仲良くしてたら、あんたにいじられすぎてかゆいんだ、と真っ赤な顔できゃんきゃん吠えられたのはつい先日だった。
そんなこといわれたって、入れてるときに指をぐりぐりさせるとあからさまに腰が抜けるし、中がどろどろになってしまうほうがいけないのだから榛名のせいではない。ふっとぶとシーツで擦ったり一人上手してるのだってちゃんと知っている。
ごくり、と唾を飲む音がやけに大きく部屋に響いた。そろ、と阿部の腹筋がはりついた腹、それから肋骨のういた胸元あたり暗くなったところに手をしのばせる。寝汗なのかわずかに湿ってはりつくような肌に、きゅっと緊張が背筋を震わせた。武者ぶるいだった。髪の毛がさかだちそうだ。
ちいさく阿部の瞼が未明の青白い光に小さく震えるのに、指先がひきつった。耳元で誰かが足を踏み鳴らすみたいな音がどかどか聞こえてくる。
ボールの感触をを確かめる(つまり彼にとっては最大限の)慎重さで、ふるえる指をすすめると硬い指先にぶつかった。つき指を何度も繰りかえしてテーピングしてもおいつかない、かたい指先が子供のようにぬくもっている。それに、握りこまれて首の後ろに氷のかたまりをおとされたみたいに、はねあがった。
奇声をあげそうになるのを奥歯をかんで堪えて、榛名はシーツに頭をごりごり押し付けた。気分はあれだ、はじめて子供に指をにぎりしめられた父親の気分だ。だけど下腹のあたりに重い熱がたまるのも、指先に弾力のある尖りがぶつかってるのも、それがどこか熱をもって腫れてゴムみたいなのも、いとけない仕草とあまりにそぐわなくて、四方八方に謝り倒したい気分になる。
「……ん」
「!」
ぶるっと阿部が背筋を震わせるのに、あわてて腕をすっぽぬいた榛名はごろりと布団の上を転がってシーツにもぐりこんだ。アクション映画でならきっと背景で爆発炎上がおこっていた。
脇の下から額から鼻の頭から汗がいっきに浮かんで、榛名は深呼吸を鼻で繰りかえす。
セーフ、セーフだよな、と自問自答しながら気配をうかがってもお叱りの声は聞こえなかった。
(やべ)
これは落ち着くだろうかと思っても落ち着いてくれそうにない。じわじわ血液が集まってるのがわかってしまう。起きてるときならやりようがあるものを、安穏とした寝息をきいてるとどこか萎えてしまってしょうがない。自分はそんなに腐った奴じゃないのだ、と榛名は深呼吸をする。
「ぅ……」
うめき声にびくびくっと肩越しに伺うと、布団がはがれて肌寒いのか阿部がもぞついていた。しょうがねえな、とおもって自分の傍にたまっていた布団をもちあげていると、ごろりと寝返りをうつ気配がした。
「!」
そのまま背中にぴったり張り付かれて、硬直した。動けない。起きて体を放されるのは業腹だし、寝こけた隣で一人始末するのは非常に頂けない。かといって放置して熱を散らすのも自信は全くもってない。
「!」
なにかが当たっている。しかもぐりぐりされている。首筋に湿った息があたって、産毛をくすぐってくる。耳の後ろに鼻が擦り付けられて、腕が肩のあたりにまわってくる。背中にあたる、何か尖った感触をおしつけるようにされてる、と脳に信号がいった瞬間、かすかな汗の匂いと土っぽいような匂いが鼻孔をついて、もう完全にだめだった。
(うわ!うわ!おま!)
ん、ん、と鼻にかかった声をあげながら体を揺らして胸をすりつけ、時折ちょうど具合がいいのか、満足そうに吐息をこぼす。めったにきけないそれに、耳も背中も肌に目がついたみたいに鋭くなった。のしりと足の上に足をのせられて抱き枕のようにされると、もう駄目だ。放置してどうにかなるレベルなんて超えてしまった。もうだめだ。
ふうっと湿った甘い息に二の腕まで鳥肌だった。耳の後ろで血管が脈打っているのがよくわかる。
ぐり、と太股の裏におしつけられたやわらかに硬いものがなにか思い当たって、意味不明な叫びが脳内をめぐる。人がリハビリので大事にだいじに鍛えた太股に、なんという
けしからんものをすりつけてくるのだ。しかも歯ぎしりして我慢する榛名のことなんて夢の外にうっちゃって、一人で気持ちよさそうにしているなんてありえない薄情さだ。ぷつっと頭のどこかがきれるのがわかった。ぎゅっと手を握りしめては開き、握りしめてはひらいて深呼吸をした。
(悪いのって、これオレか?)
自問と同時に頭の奥のドアがパッカーンと紙ふぶきと一緒に開け放たれて、小人が猫みたいな歓声をあげて走ってくる。ぱん、とクラッカーが弾けるようないい音でひろげられたのは僅かに二文字。勝訴。
(で、すよねー)
心頭メッキャクしても火は火、涼しくなんてならない。(漢字はもちろんわからなかった)
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