流影【二】










弾かれた白刃が弧をえがいて蒼天に跳ね上がり、硬い音とともに大地に突き立った。

「それまで!」

朗々たる声が響くと同時に、試合を終了させる銅鑼が鳴り響いた。対峙していた相手の喉元に長剣を突きつけていた青年の体から、殺気が霧消する。澄んだ音をさせて双剣を背に負った鞘に戻すと、青年は突き立ったまま未だ震えている長剣を無造作に引き抜き、相手に返した。

「礼!」

礼式どおりの場所に立ち、左拳を右手で包み、まずは向かい合った相手に一礼。審判に一礼、そして、片膝をつき、北に面を向けた。鳳凰を戴き金糸銀糸の刺繍も豪奢な金蓋と蒼天にひるがえる竜旗の下に座す、泰華(たいか)国二代皇帝・丙全(へいぜん)に膝をつき、深々と頭を垂れる。

「日々精進せよ」

泰然と座した竜顔は遠くよく見えないが、不思議と張り上げたでもない声は良く響いた。





暦にして慶安十年。

宮城内、祭礼を執り行う北宮の紫微宮・南殿たる寧楽(ねいらく)殿前の広場では、夏至を前にしての祭礼、太夏節が行われていた。

深更、皇帝が宗廟から炎を竜燭にうつし、香華を捧げて祖霊を祭ったのちに、天檀に昇った皇帝が天神地祇に安寧永続を祈念する祭儀をはじめとし、春に醸したばかりの酒を集った百官に振舞う。 

古式に則り清められた広場には正装の文官武官が並び立ち、花工(はなざいくし)が紫薇や百日紅に石楠花、葵を使って丹念に作り上げた竜舟、恭喜とえがかれた紅い花灯籠。夏至を前にいよいよ暑さをました風に束の間でも涼をと、氷室に納められていた氷に山水や竜、鳳凰などの瑞祥を表す彫刻がなされた氷柱が建てられていた。

後宮につとめる宮女が演舞をし、龍舞、狻猊(しゅんげい)と獅子の双舞ののちに、太夏節の目玉、武官による演武が楽人の奏でる歌舞音曲を後目に行われていた。

まずは紅白に分かれた二軍が、馬を勝って矛戟を打ち鳴らす。

段々と青みを深くする空に翻るのは、色とりどりの旌旗。

東より、東宮七宿を配した青龍旗の緑旗東軍、西宮七宿に白虎旗を翻す白旗(びゃっき)西軍、緋色あざかな朱雀旗に南宮七宿、赤旗(せっき)南軍、漆黒の玄武旗に北宮七宿を記した黒旗北軍、そして、皇帝直属である黄旗の禁軍。

金糸銀糸をもって太陽を食らわんと描かれるは五指の応竜、北斗南斗の星辰を従えて悠然と舞う。兵卒はいずれも煌びやかな甲冑に身を包み、銀鱗にきらめく槍剣を誇らしげに掲げている。

粛々と一糸乱れぬ隊列の動きで満足した人々の目を更に楽しませているのは、参加者を募って催される天覧試合だった。

得物はおのれのもっとも得意とするもの、双節棍やトンファー、十字槍もあれば、見たこともない不可思議な武器を使うものと、雑伎のように武人達が試合を行う。まして、天子が見物するのであるから、名乗り上げる武人も生半の腕ではない。

にわか作りの高楼や、刺繍も色鮮やかな天幕で、下げられた珠簾の中にいる深窓の姫君やら高官などが美酒を満たした杯を片手に固唾をのんで勝負の行方を見守っていた。

その視線の焦点、演舞場である広場で、いまだ十代を越えるや越えずやの青年が、まるで戯苑の役者のように流麗な仕草で至尊の君に礼をとっていた。よくは聞こえないが、ざわめきによって皇帝直々にお褒めの言葉がかかったらしいと見当をつける。

四人を続けざまに相手にしながら、息ひとつ乱さぬ見事な腕前とあっては、直答を許される謁に浴するのも当たり前かもしれない。

軽装といっていい。黒髪黒眼、典型的な東方の人種の容貌、凛々しく整った面差しはまだ僅かに幼さを残すものの、名工の手によって鍛え上げられた剣のような目つきは鋭い。長身の部類だったが、まだどこか筋肉がつけきらずしなやかなといった感が強かった。

白を基調とした武装だった。一見して絹とわかる袖のない羅袍(うわぎ)には純白の梨花を象った刺繍がなされ、帯留めには崑崙から産した羊脂玉と真珠、白銀の甲冑。典礼用のため、ともすれば華美になりそうだったが、不思議と清冽な印象がある。

それを眩しげに見つめる視線が二つ。交わされる言葉は泰華のものではない、さらに西、沙漠に程近い草原で遊牧をする民のものだ。

『上杉の御曹司か。いい太刀筋だ』
『当たり前だ莫迦、双燕剣の使い手で景虎殿に敵う者はいないぞ。なにせ燕元老師秘蔵の名手との噂だからな』

変なことを考えるなよ、と横目で睨んだ友人に男は笑う。

『ならば、なおさら手合わせしたくなるに決まっているだろう』
『阿呆!相手は若いといっても聖上の覚えめでたい白旗西軍の上将だぞ。北蛮と蔑まれる俺らが出て行ってどうする』
『黒旗北軍といちおう天可汗(へいか)には拝命いただいてるが』

言って赤み深い葡萄酒を満たした杯を傾けた男に、友人は眉をつりあげる。

『我ら剽族を体よく縛り付ける有名無実だろうがっ。おまえ首にされるつもりか』
『幸いなことに一人身だからな、天子の機嫌を損ねても連座する家族もいない気楽な身の上だ。首になったら北に帰るから構わん。じゃあな、後は頼んだ』

無造作に空になった盃を友人に投げた男は立ち上がった。丈高い男が立ち上がったのに、周りで同じく酒を煽っていた男達がざわめく。

『どういうことだ!俺にぜんぶ押し付けるつもりかっ、曲がりなりにもお前は俺らの……って、行っちまいやがった、あの野郎!』

天幕の外に向かって歩き出した背中に、鮎川は毒づいた。









(ちっきしょう、千秋の野郎、覚えてやがれ)

優秀といえるが、とことんお祭り好きの幼馴染みにして同輩の顔を思い出し、高耶は低く舌打ちする。

先日酒の席で演武に出る人員に隊の誰を上げるべきか、と相談したのがいけなかった。気がつけば酒に酔った上で、うまく乗せられて高耶がでる羽目になってしまったのだ。

千秋の提示した条件は「五人連続勝ち抜き。相手に傷をつけても自分に傷がついてもダメだからな」というものだった。万一、条件を満たせなかった場合は高耶の大事な妹に、婚姻の申し込みをしてやる、と本気が冗談か判別つきかねることを言われてしまったのだ。

千秋の家は妹の婚姻相手としては家格も年頃も最高といえるために、親が頷いてしまえば高耶に否やを言う権利はない。高耶が酒に弱いと知っての確信犯であった。

「お相手願えますか」

場違いに穏やかな声が聞こえたのはそのときだった。ざわり、と高楼に鈴なりの見物人好奇と驚愕を含めてざわつくのに、高耶は振り返った。

(胡人、か?)

色の薄い亜麻色の髪と同じく琥珀を嵌めたような瞳の異相、長身である高耶よりなお頭半分は高い。まとう甲冑が黒のひと揃えなのも納得できた。他三軍とは異なって、黒旗北軍は主に西域からきた漢族以外で編成されている。

胡服と呼ばれる詰襟の黒袍は袖口と襟元だけに金糸でひかえめな刺繍がなされただけ、皮革を連ねた鱗甲もまた漆黒だ。

武器は何てことはない偃月刀、厚みのある重そうなものだが、男から見ても羨むほどの体躯の持ち主である男には軽々と扱えるだろう。

見つめる高耶に男は僅かに首を傾げる。男は端正な容貌だった。彫りが深く、威圧感さえ与えるような顔立ちだが、不思議とそんなことはない。物柔らかで理知的な空気の所為かもしれない。どちらかといえば荒事には向かない、文官のような空気だ。

と思うと、この男がどんな剣を使うのかが気になってきた。

訊ねるような眼差しを上座にいるはずの皇帝に送れば、傍らに控えた宦官の長が鷹揚に手を振って上意を伝えるのが見えた。審判をつとめていた老武官が頷く。

「それでは」
「お待ちを、黄老公。その試合、判じ手をお任せ願えませんか」
「千秋」
「両人ともに、我が友人とあればその手合わせを間近で見たいと存じます」

広場の中心に歩み出た青甲の武人の姿に黄老将軍は目を細める。緑旗東軍、一位上将が進み出たことに、何ごとかと見物人が固唾を飲む。

「ほう、殊勝なことを」
「っつうか単純に面白そうだってだけなんだけどな、黄老公」

肩をすくめてニヤリと口端を上げた武人は、とても泰華随一と謳われた武門、安田家の後継ぎとは思えないくだけた様子だ。

「聖上に申し上げねばなんとも言えんが」
「丙全のおっさんには了承済み」

な、と千秋が皇帝を、見た目だけは恭しく仰げば、特に否定の言葉は降ってこなかった。たしかに千秋の言どおりらしい。苦笑した黄老公は、ありがたく自席にさがっていった。眉を顰めたのは高耶に試合を申し込んできた男だ。

「長秀!恐れ多くも聖上に向かって」
「はいはいはいはい、旦那は相変わらず頭が固くてうるさいってば。景虎と仕合たいんだろ。俺様がバッチリ見てやるから、とっととやりな」

この黒衣の男と知り合いなのか、と高耶が訊ねるよりも早く、片手を上げた千秋に促がされて試合の開始準備を告げる銅鑼が鳴り響いてしまった。

一瞬困ったように高耶と男は顔を見合わせる。

高耶を見つめる男の目が、何かを訴えるような色をたたえた。

「あなたは………」
「?」
「いえ、お願いします。お手柔らかに」

偃月刀を男が抜き払う。同時に双剣を抜き放った高耶が刃を一度触れ合わせる。硬い音が鳴ると同時に、銅鑼の音が韻々と響き渡った。

(こいつ……!)

銅鑼の余韻が終わりもしないうちに抜きうたれた刃を避けながら、高耶は内心で瞠目する。

上体を掠めた刃のまとうものは理知的とか穏やかといった言葉からは程遠い。丈高い体躯から来る威圧感は、実際に空気まで重くなり手足にまといつくような気さえするほどだ。

鋼の匂いがする。

(踏み込みが早い)

足元を薙ぎ払った刃を後ろに飛び退ることで避ける。が、すぐさま男は懐までの距離を詰めてきた。返す刀で振るわれた偃月刀が、高耶の手元で双剣に阻まれて、火花が散った。

「流石」

心底楽しそうな口調で笑った男に、揶揄されたような気がした高耶が煽られる。岩でもつけたような重い剣だ。じりじりと鍔迫り合いで押されかけ、眼前に迫る刃を裂帛とともに一気に跳ね返した。身を引いた男の首元を白刃が薙ぐ。見物人がどよめいた。だが、刃は虚空を掻いただけだ。

「まだだ!」

高耶の得物は両刃の双剣、右の剣が避けられても左がある。旋回しざま閃いた刃が更に男の胴体を襲った。だが、硬質な音がすると同時にあっさりと大刀に払われる。

転瞬、反撃に男は転じた。

上段から振り下ろされるぎらつく刃、だが見切っていた高耶は勢い良く左手の長剣で叩き落す。ガチリと偃月刀が石畳に火花を散らした瞬間、高耶は下段から右手の刃先を跳ね上げた。

焦るでもなく、引き抜いた得物で男が斬撃を受け止める。持ち手を変えて、片手で振るわれた凶刃を高耶は後にトンボをきることで避けた。空を薙いだ刃に男が苦笑いした。それに高耶も笑う。

血が沸き立つのがわかる。

目まぐるしく入れ替わる攻防に、千秋をはじめ見物人もしわぶきひとつ起こすことなく見いっていた。

「こりゃ、予想以上に真剣だな、旦那も大将も」

緩急自在、押せば引き、引けば押す。閃く白刃がたてる鋭い音は澄み渡り、対峙する二人の空気は鬩ぎあっては弾ける。受けては流し、流しては攻めに転じ、互いの懐に飛び込み刃を噛み合せる。

白衣の高耶の動きが軽妙で、ぱっと目を惹く華やかさがあるのに対し、黒衣の男の動きは力強く、それでいて動きに淀みがないものだ。だが二人の呼吸は奇妙にあって、型どおりに刃を合わせて技を見せ合う剣舞を見ているような気さえしてくる。

「長引くと、大将が不利か」

冷徹に判断を下した千秋と同じく、高耶も向き合う男も悟っていた。体躯と膂力で劣る高耶はどうしても速さで欠点を補う。ために体力の消耗が男よりも早い。

一度雷電のように激しく打ちこみ合ってから、離れる。

足を肩幅ほどに広げ、体を落として構える高耶の姿に男は目を細めた。燃え立つような漆黒の眼光が、高耶の胸中を語るようだった。炯々とし、燃え立つように力強い。

次の打ち込みで勝負を仕掛けてくる。

間断なく動き続けたために男もまた疲労を感じている。だからこそ、仕掛けてきた勝負を流すような無粋な真似はしたくなかった。大刀を鞘に戻し男もまた膝を曲げてゆったりと構えた。あがった呼吸を強いてゆるやかにする事で、戦いに高揚し煽られた頭を僅かに鎮める。

気息を相手に合わせる、これは兵法のうち上策の一。そして、相手の気息を乱す、これは兵法の上策の二だ。僅かにでも、向き合う相手の気息を乱す糸口、呼吸の綻びが現れる瞬間を互いに待つ。

双剣の切っ先を相手に向けながら、高耶は胸のうちが妙に凪いでいくのがわかった。相手の呼吸が手にとるように分かる。そして、こめかみが熱く脈うち、紛れもない自分の拍動が耳元で潮騒のように唸っていた。

夏至、黄道吉日に相応しく澄み渡った空に太陽は中天に差し掛かり、高耶と男の足元に濃い翳りを溜まらせた。音がない。うるさいほどだった歌舞音曲の音すら途絶えているようだ。

はたりと風がやむ。

先に動いたのは高耶だったのか、男だったのか。

高耶が間合いに踏み込む。男の腰から抜きうたれて迸った銀光、紙一重で頬を風が掠めるのがわかった。黒髪が幾房か斬られて剣風に千切れ、男の帯に結ばれていた佩玉が弾け飛ぶ。

一撃必殺の打ち込みを流された男の体が、僅かに泳ぐ。試合をはじめてからようやくに見せた拍子の乱れ。高耶はみすみす手の中から落とさない。

驕りでも何でもなかった。ただの確信。

―――とれる。

ひょうと刃が空を切る風笛のような音。

「それまで!」

翡翠の佩玉が落ちた。









next



back